靖江日语培训之文化百科-【北条政子】

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【北条政子】

(ほうじょうまさこ)
(1157―1225)鎌倉前期の政治家。時政の女、源頼朝の妻。2代将軍頼家、3代将軍実朝の母。伊豆配流中の頼朝と結婚、石橋山の戦いのときは伊豆に隠れていたが、まもなく鎌倉に迎えられた。1182年(寿永1)には頼家を、92年(建久3)には実朝を生んだ。3年後頼朝に従って上京し、長女の大姫入内を意図して、朝廷の実力者丹後局と面談した。しかしこれは大姫の死によって実現しなかった。頼朝の死(1199)後、尼となり、大江広元、父時政らの元老重臣の合議制政治を推し進め、頼家の独裁を抑えた。頼家重病に際し、父と謀って頼家を廃して実朝を将軍とした。1205年(元久2)時政が後妻牧方とともに将軍廃立を謀ったため、弟義時と相談して実朝を守り、父を伊豆へ送った。義時執権時代を通じてつねに政務の中心にあった。18年(建保6)の上京の際、出家の身で従三位に叙せられた。続いて二位に進み、「二位家」と称された。実朝の死後、鎌倉殿の任務を代行、やがて藤原将軍を迎えた。承久の乱(1221)に際して、幕府の恩を説いて東国武士を京に攻め上らせた話は有名である。義時急死後、伊賀氏の陰謀を抑え、甥泰時(義時の子)を執権とし、政子は「尼{あま}将軍」として敬重された。嘉禄{かろく}元年7月11日病死。