靖江日语-精选中日文对照阅读 234 春の感じ

 雪がやって消えて、春が訪れると、いろいろな木がいっぺんに芽を吹き出します。生けがきのから松も小さな丸い芽を出します。から松の芽をつまんでかいでみると、きついにおいが発散して、鼻の穴の奥をくすぐります。わたしは春を確かめるような気持ちでいくつも芽を摘み取ったり、手のひらにこすり付けたりしました。そして木の芽のにおいをかいで、季節を感じるなんて、わたしひとりだろうと思っていました。

  春天的感觉

  冬雪消融,春天的脚步渐渐近了。各种各样的树争先恐后的发出了芽。用做篱笆的落叶松不知何时也发出了嫩绿的小圆芽,我摘下一片闻了一下,一股强烈的春天的味道扑鼻而来,直沁心脾。我一起摘了好几片叶子,想要确认一下春天是否真的来了似的,在手掌中翻来覆去地把玩。我想通过树的芽的味道来感觉季节的气息的人,只有我一个吧。

  あふれる

  月並みだがやはり五月は緑.心に浮かぶのは芽ぶいたばがりの新鮮な若葉、それに目にまぶしくあふれてくる緑だろう。美しくはれあがった日はまさにそのとおりで、あながちこのイメージも誤りとはいえないが、統計でみるという月、意外に雨の日が多いのだ。逆にいえば、その数少ない初夏のひの美しさ、輝かしさ強烈な印象をひとに与えている–ということになるだろうか。

  緑という言葉は、そに鳥-カワセミの羽の色から転じてきたものというのが、色名としては比較的新しいもので、古くは「あお」である。今でもわたちたちが、緑の葉をさして青葉といっているように、昔は青、青緑、緑にかけての色を「あお」という言葉で呼んでいだ。といっても、それは色彩に対する感覚が悪かったというだけのことだ。

  緑は心理学からは安息を与える色だろうだが、そくそくと芽ぶく山の緑を見ていると、その生気のすさまじさに攻めたてられる思いがする。「自然界において人間は消費者でしかない。微生物は還元者、植生のみが生産者だ。」という文章をたまたま新聞のコラムで読み、何かわかったような気がした。自然の生命力と向かい合うためには、こちらもあふれるたくましさがなければならないのだろう。

  生机勃勃

  虽说是屡见不鲜,但五月的绿色还是令人兴奋。脑海中浮现出的是刚吐出的鲜嫩绿芽,那也就是将会变得越发美丽茂盛的绿叶。上述印象未必能说是一种错觉,因为在这晴空万里的日子里的确如此。据统计,五月份雨天格外地多,相反,也许能这么说,初夏少有的,美丽而灿烂的阳光会给人带来强烈的感受

  据说绿色这一词汇是从”翠鸟”的羽色转义而来的,但作为色彩名是较新颖的一种说法,在古代则称作”青色”。就如现在我们指着”绿叶”叫它”青叶”一样,过去凡是与”蓝、深绿、绿”有关的颜色都用”青”这一词汇。话7是这么说,倒也不是对色彩的感觉不敏感,只是觉得没有必要把色彩分得那么细。

  据说绿色在心理上是属于”稳定情绪”的色彩。望着漫山遍野茁壮成长的绿芽,一种洋溢着春天生机勃勃的气息扑面而来。”在自然界中人类只是消费者,微生物是还原者,而只有植物群体才是生产者。”偶尔我们也能在报纸的评论栏中读到这类的文章,我似乎明白了一些什么。我们要与自然界中的生命相拥抱,自身也需要具有强健的体魄。